大白蓮華 2014年(平成26年)12月号(No.781)

 巻頭言
「陰徳陽報」の誉れの友に感謝!

創価学会名誉会長 池田大作

 私は何よりも誇(ほこ)りとする。
 陰(かげ)の労苦(ろうく)をいとわず、誰が見ていようがいまいが、広宣流布の「陰徳(いんとく)」に徹(てっ)し抜(ぬ)いてくれる尊き(とうと)同志を!
 私は何よりも喜びとする。
 健気な同志と巻属(けんぞく)が、いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)も超え、所願満足の勝利の「陽報(ようほう)」に包まれゆく晴れ姿を!

 日蓮大聖人は、四条金吾の夫人である日限女(にちげんにょ)の人知れぬ「陰徳」を「心ざし大地よりも・あっし地神(ちじん)定(さだ)めてしりぬらん・虚空(こくう)よりも・たかし梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)もしらせ給いぬらん」(1115ページ)と賞讃(しょうさん)なされた。
 とともに、夫である金吾の大城実の信心を讃え、「かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり」(1171ページ)と約束しておられる。

濁(にご)り乱(みだ)れた娑婆(しゃば)世界にあっては、真面目な庶民が積み重ねてきた努力が報(むく)われずに、校賢(ずるがしこ)い小才子(こざいし)が幅を利かすという矛盾(むじゅん)が渦巻(うずま)いている。
 人類の歴史を振り返ると、正義の善人が、非道(ひどう)の悪人に陥(おとしい)れられてきた悲劇(ひげき)も、あまりにも多い。
            
 しかし、仏法の透徹(とうてつ)した三世永遠の因果(いんが)の理法(りほう)に照(て)らすならば、善と悪、正(せい)と邪(じゃ)の賞罰(しょうばつ)は厳然(げんぜん)だ。
 邪悪(じゃあく)の徒(やから)は「終にほろびざるは候はず」(1190ページ)の末路(まつろ)をたどる。
 妙法を唱え、広宣流布誓願に、善知識(ぜんちしき)の同志と共に生き抜く人生は、絶対に最後は勝ち栄える。
 勇気と希望の大逆転劇を、いずこにあっても、晴れ晴れと示し切ってきたのが、我ら創価学会である。

 黙々(もくもく)と
   陰の労苦に
      徹(てっ)したる
   妙(みょう)の照覧(しょうらん)
    三世に薫(かお)らむ

 幼き日に両親を亡くし、言い尽くせぬ苦労を重ねた京都の友がいる。何10年と広布の会場を提供され、夫妻で青年をわが子の如く慈(いつくし)しみ、育成してくれた。

 「今日も、わが家に地涌の菩薩の同志が来るよ。仏様が来られる。嬉しいね。感謝せなあかん。大切にせなあかん。一緒に戦い、勝っていくんや!」と。
 この宝城から、どれほど人間革命のドラマが生まれ、常勝を担(にな)い立つ人材が躍(おど)り出てきたことか。
 功労の父母の福徳を受け継ぎ、お子さん方も、お孫さん方も、輝き光るりリーダーと活躍している。

 「法」と言っても所詮(しょせん)、弘めるのは「人」である。
ゆえに人を育てることこそ、究極(きゅうきょく)の「陰徳(いんとく)」といってよい。その「陽報(ようほう)」は、まさに計(はか)り知れないのだ。

 「焦(あせ)らず進むのだ。自分が人一倍、苦労し、人一倍、後輩を伸ばし、人一倍、功徳を受け切っていくんだよ!」とは、恩師・戸田城聖先生の激励である。

 来る年も来る年も、創価家族は一丸となって、若き地涌(じゆ)の友を呼び出し、育(はぐく)み続けている。
 「あなたの真剣な祈りと、慈愛(じあい)あふれる励ましがあればこそ、こんなにも幸せになれました!」との感謝に包まれることほど、尊貴(そんき)な生命の栄光はあるまい。

 「陰徳陽報(いんとくようほう)」の誉(ほま)れの友に最敬礼(さいけいれい)し、私は19世紀シルクロードの詩人ベルダフの一節を捧げたい。
 「人間の幸福のために汗を流せば、汝(なんじ)の誠実なる労苦は無駄(むだ)にはならぬ。いつの日か、民衆が、汝の労苦と汗に讃嘆(さんたん)を贈りゆくのだ」