大白蓮華 2016年(平成28年)5月号(No.799)
創価学会名誉会長  池田大作

地涌の若人と常勝歓喜の舞を!

 いかなる試練(しれん)の時代、いかなる苦難(くなん)の社会にも、生命尊厳の希望の哲理(てつり)を掲(かかげ)げ、正義のため、民衆のため、平和のため、喜(よろこ)び勇(いさ)んで戦おうではないか!

 時を超え、国を超えて、「法華経(ほけきょう)」が呼びかけてやまない、この魂のメッセージに応えて立ち上がった「地涌の菩薩」の群像(ぐんぞう)こそ、わが創価学会である。
 日蓮大聖人の仰せの如く、一閻浮提(いちえんぶだい)が打ち乱れる闘諍(とうじょう)の只中(ただなか)で、牧口常三郎先生、戸田城聖先生は、身命(しんみょう)を賭(と)して広宣流布の道を開いてくださった。

 両先生が最大に信じ期待されたのは、青年である。
青年にこそ、強く正しく清らかな地涌の生命が躍動するからだ。創価の師弟が広げてきた「歓喜踊躍」(かんき)の青春の舞は、今やこの地球を包み始めている。

 地涌の若人の涌出(ゆじゅん)は、待つものではない。先頭に立って呼び出すのだ。一緒に戦い、育て鍛(きた)えるのだ。
 思えば、大聖人御自らが、こよなく青年を慈(いつく)しまれ、相次(あいつ)ぐ法難(ほうなん)の中で、薫陶(くんとう)し、鍛錬(たんれん)なされていた。

 ある年の5月3日、若き南条時光(なんじょうときみつ)へのお手紙には、「大事だと思っている人たちが信心を制止し、大難が来る時がある。その時こそ、まさに諸天(しょてん)の守護(しゅご)が厳然と現れると確信し、いよいよ強盛に信心に励んでいきなさい」(1512ページ、趣意)と仰せである。
 吹き荒れる烈風(れっぷう)に怯(ひる)まず、勇敢(ゆうかん)に思い切って広布の大願に挑みゆく若人の色心(しきしん)には、妙法と一体不二(いったいふに)の無限のエネルギーが漲(みなぎ)るのだ。その正義の丈夫たち、乙女たちを、仏天は必ずや守らずにはおかない。

 わが胸に
  広布の炎(ほのお)は
   烈々(れつれつ)と
   地涌の誓いを
     青年(きみ)と果(は)たさむ


 60年前、愛する関西の天地で、私は、いまだ入会まもない青年たちと、新たな民衆勝利の歴史を開きゆかんと、未聞の拡大に挑戦していった。
 私はリーダーに語った。「一人の百歩前進も尊(とうと)いが、それ以上に百人の一歩前進こそ大切だ。そのためにも、一人一人の名前を思い浮かべて祈ろう」と。
 この時、共に奮闘(ふんとう)した兵庫の青年は、口下手に悩み、夜遅く郵便ポストを相手に対話の練習を重ねた。
 そうした誠実な努力を私は讃えた。「一人の青年にここまで」という学会の励ましに涙した彼は、恩返しの心で一生涯、後輩を大切に励まし抜いてくれた。
 「信心で人生が変わる——この溢(あふ)れんばかりの歓喜で活動して、結果が出ないわけがありません」と。

 「広宣流布」「立正安国」は、人間群に飛び込み、現実の社会を変えていく大闘争である。その行動の中で、一人一人の「人間革命」の歓喜の劇が広がる。
 女子部の友が研鑽(けんさん)する華陽会御書30編の一つ、一生成仏抄には、「皆我(みなわ)が一念(いちねん)に納(おさ)めたる功徳善根(くどくぜんこん)なりと信心を取るべきなり」(383ページ)と記される。
     
 仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)は人の何倍も忙(いそが)しく苦労も多い。心ない悪口を浴びせられることも、人知れず悔(くや)し涙を流すこともある。しかし、だからこそ、無量無辺(むりょうむへん)の「心の財(たから)」が積まれ、福徳は計(はか)り知れないのだ。

 創価の民衆運動は、金剛不壊(こんごうふえ)の信念を持つ地涌の人材を、社会へ世界へ未来へ送り出す大地である。
 さあ、若人(わこうど)と共に、若人の心で、常勝歓喜(じょうしょぅかんき)の舞(まい)を!

大白蓮華 2016年(平成28年)4月号(No.798)

一人ももれなく!喜びの舞を

 悠久(ゆうきゅう)のシルクロードの天地で語り継(つ)がれてきた英知の言葉(ことば)が、思い起こされる。

 それは、「良き人と友情を結べば、人生において、すべてを勝ち取ることができる」というのである。
 人間同士の豊かな「つながり」は、健康と長寿においても、かけがえのない力を持っていることが、
 今、医学的に多次元(たじげん)から立証(りっしょう)されている。
 深刻(しんこく)な孤立(こりつ)や無縁が憂慮(ゆうりょ)され、心の砂漠(さばく)が広がる少子高齢社会にあって、温かな思いやりに潤う命のオアシスこそ、創価の地区であり、ブロックである。

 我らは、来る目も来る年も、勇気と誠実の対話を重ねながら、人類をつなぐ友情のシルクロードを、遂に世界192カ国・地域まで間いてきたのだ。

 御聖訓には、「無一不成仏(むいちふじょうぶる)と申(もう)して南無妙法蓮華経を只(ただ)一度申せる人・一人(いちにん)として仏にならざるはなし」(1573行)と記されている。

 人々を幸福にする妙法の功力とは、これほどまで
に大きい。ゆえに仏縁(ぶつえん)を結ぶことが、いかに大切か。
 また、広宣流布の陣列(じんれつ)に、ひとたび縁(えん)した一人一人が、いかに大事な存在か、計(はか)り知れないのだ。

 日蓮大聖人は門下に、「一日片時(いちにちかたとき)であっても私の命を助けてくれた人々であるから、どうして他人のように思えようか」(1489ページ、趣意)と仰せである。
そして、その人の難しい立場を思いやられ、「何があ
ろうとも、どうして、あなた方を見捨(みす)てるようなことがあるでしょうか」(同行、趣意)と明言された。

幸福と
  勝利をつかむ
    広市旅
   あの友この友
     皆で愉快に

 御本仏の慈悲は、あまりにも広大無辺(こうだいむへん)であられる。
このお心を拝(はい)する創価家族のスクラムは、この世で最も明るく、麗(うるわ)しく、大らかな人間の絆(きず)なのだ。
 今、思うように会合に参加できない同志もいる。
 あるいは、組織から遠ざかって久しい場合もあろう。
 しかし皆、宿福深厚(しゅくえんじんこう)なるゆえに、妙法を受持した地涌の菩薩である。
 心田(しんでん)に蒔(ま)かれた仏種(ぶっしゅ)が、芽吹(めぶ)き、育(そだ)ち、花間いていかないわけがない。
 だからこそ、強盛に題目を送り、「歓喜の中の大歓喜」の波動(はどう)を、友の生命に伝え広げていくのだ。
 真心込(まごころこ)めて訪問・激励を、粘(ねば)り強く重ねていくのだ。
 創価の励(はげ)ましの達人たちは、まさに「柔和忍辱(にゅうわにんにく)の衣」を帯して、慈愛(じあい)の包容力(ほうようりょく)を発揮してくれている。

 たとえ、すぐに相手が発心しなくとも、焦(あせ)ることはない。祈り、動き、打ち込んだことは、「一念三千(いちねんさんぜん)」の力用(りきよう)で、未来までも変えていくからである。
 「一人」のためにと、2日がかりで、九州まで足を運ばれた、牧口常三郎先生は語られた。
 「私の足跡(そくせき)の後に必ず青年が続々と続きます」と。

創立の父の率先垂範(そっせんすいはん)を偲(しの)びつつ、私が九州へ第一歩を印したのは60年前、大阪の戦いの渦中(かちゅう)であった。
九州の宝友は、私と不二(ふに)の心で立ち上がってくれた。  
 広宣流布、立正安国(りっしょぅあんこく)の大誓願に勇(いさ)んで挑(いど)む歓喜踊躍(かんきゆやく)の舞は、必ずや新たな地涌(じゆ)の友を呼び出すのだ。

 さあ、栄光の5月3日から、創価女性の月・6月へ、青年凱歌(がいか)の7月へ、楽しく賑(にぎ)やかに大前進を!

大白蓮華 2016年(平成28年)3月号(No.797)
丈夫よ「この道」勝ち抜け!
創価学会名誉会長  池田大作

 我ら壮年部は、1966年(昭和41年)3月、婦人部、青年部に遅(おくれ)るること15年にして誕生した。
 思えば、法華経の会座に最後に馳(は)せ参(さん)じたのは、普賢菩薩(ふげんぼさつ)である。普賢は遅れを取り戻す如く、末法法華経の行者を守護することを、真剣に誓った。
その熱誠(ねっせい)を、仏はことのほか喜ばれたのである。

 壮年部の結成に当たって、私たちは約し合った。
 「壮年部は、各部のなかの一つの部ではない。各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を、守る。創価の城を支えゆく、黄金柱(おうごんばしら)になるのだ」と。

 この誓いのままに、妙法の名将たちは奮い立った。
 私と共に、広宣流布の責任を担い、支部で、地区で、ブロックで、同志を励まし、守り抜いてくれた。

 学会が、諸難(しょなん)ありとも、微動(びどう)だにせず、大発展を遂(あ)げてきたのは、まさしく「黄金柱」たる壮年が、いずこの地にも雄々(おお)しく屹立(きつりつ)しているからである。
      
 いかなる社会と人生の烈風(れっぶう)が吹き荒れようとも、歯を食いしばって厳然と、創価の城を支えてくれた尊き父たちのことを、どうして忘れられようか。
    
 日蓮大聖人は、「天・地・人を貫(つらぬ)きて少しも傾(かたむ)かざるを王とは名けたり」(1422ページ)と仰せである。
 大宇宙をも包(つつ)みゆく、壮大な「一念三千」の法理を行ずる我らだ。  
 権力によらず、財力にもよらず、ただ一人の男として生命の本源の底力を発揮し、生老病死(しょうろうびょうし)の苦悩に応戦して、創価家族を牽引(けんいん)するのだ。
 無名無冠(むめいむかん)なれど、最も誇り高き人間王者である。


  丈夫よ
   この道勝ち抜け
    友のため
   王者の戦を
     堂々飾れや


 恩師・戸田城聖先生は「王者の中の大王者」の道を進み抜かれた。先生は悠然(ゆうぜん)と語られている。
 「私は、かりに地獄に堕ちたとしても平気だよ。
 その時は、地獄の衆生折伏(しゃくぶく)して寂光土(じゃっこうど)とするんだ。
 男が臆(おく)せば男ではない。どんな苦労も仏の力に変えられる。三障四魔(さんしょうしま)が強いのは、むしろ信心で、必ず勝てるという証(あか)しなんだ。人生は強気でいけ!」と。

 創価の王者に恐れはない。逡巡(しゅんじゅん)もない。気取(きど)りもなければ、威張(いば)りもない。ありのままの人間味で、庶民と共に、庶民のために、毀誉褒既(きよほうへん)など豪快(ごうかい)に笑い飛ばして戦う。現実社会の只中で、法華経の兵法を掲(かか)げて大闘争を続ける。そして、後継の宝の若人を慈(いつく)しみ、自分以上の大人材へと育てゆくのだ。

 愛する神奈川天地に、村八分の圧迫も、倒産の憂(う)き目も、命に及ぶ大病も、信心で勝ち越えてきた、誉(ほま)れの戦友がいる。
「われ地域広布の責任者なり。創価の世雄(せおう)の生き方を見よ!」と社会に信頼を広げ、保護司(ほごし)として大勢の人々の更生(こうせい)にも尽(つ)くしてきた。

 今、各地で五勇士(ごゆうし)や十勇士(じゅうゆうし)も陸続と躍(おど)り出ている。   法城厳護(ほうじょぅげんご)の王城会(おうじょうかい)や、太陽会はじめ生涯求道の丈夫(ますらお)たちも、何と頼もしく奮闘(ふんとう)してくれていることか。

 史上空前の高齢社会に、わが青年部で戦った団塊(だんき)の世代がいよいよ「黄金柱」として輝いていくのだ。
 壮年部の誕生から半世紀。「50にして天命を知る」だ。何があろうと勝って同志を守り抜く。この天命をば、共々に断固と果たし切ろうではないか!

小説「新・人間革命」



〈小説「新・人間革命」〉 常楽 五十七 2016年3月9日

 法悟空 内田健一郎 画 (5745)

 二十二年前に山本伸一と食事をしながら懇談した人たちは、その時に出し合った食事代が百円であったことから、「百円会」という名をつけ、以来、共に広布の誓いに生きようと励まし合いながら、前進してきたのだ。
 人生には、さまざまな思い出や、転機となる出会いがある。それを大切にし、心の宝物としている人は強い。負けない。何かあった時に、返るべき発心の原点があるからだ。
 このメンバーは、伸一との誓いを深く胸に刻み、友の激励に、弘教にと奔走し、人生の凱歌を轟かせてきたのだ。
 今、頰を紅潮させて、奮闘の来し方を報告する同志の姿は、たくましく、尊かった。
 「皆さんは、本当によく頑張ってくださった。私は、それが嬉しいんです。一人ひとりが庶民の大英雄です。
 ところで、『百円会』という名前ですが、新しい名称にして再出発しませんか。『百円会』は、開けっぴろげで、いかにも大阪らしいのですが、もう少しセンスがある名前の方がいいんじゃないですか」
 朗らかな笑いが広がった。
 「こんなに美しい菊のなかで再会したんですから、『菊花会』としてはどうでしょうか」
 賛同の拍手が沸き起こった。
 さらに彼は、句を詠み、贈った。
 「なつかしや 遂にあいたり 菊花会」
 泉州文化会館の開館記念勤行会は午後六時前から開始され、伸一の導師で厳粛に勤行・唱題した。地元幹部のあいさつ、表彰に続いて、婦人部と女子部の合唱団が、「母の曲」、関西の歌「常勝の空」、さらに、皆が初めて聴く新曲をはつらつと歌い上げていった。
   
 〽堂々と 王者の城か 泉州
  友らがつくりし 人材の石垣
   
 伸一が、二年半ほど前に、泉州の友に贈った和歌に曲をつけ、「王者の城」と題して披露したのだ。彼は、皆の気持ちが嬉しく、“ありがとう!”と心で叫んでいた。

大白蓮華 2016年(平成28年)1月号(No.795)


誓いし願 やぶるべからず 
       創価学会名誉会長  池田大作


 青き地球の新しい一年の自転(じてん)と公転(こうてん)が始まった。
 我らも、久遠元初の生命の太陽を輝かせながら、新しい息吹で、「一生成仏」という自転を、そして、「広宣流布」という公転を、たゆまずに進めたい。
 その推進力は、「法華経の行者の祈り」である。

 末法の御本仏・日蓮大聖人は仰せになられた。
 「大地はささばはづ(外)るるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事は あるべからず」(1351ページ)と。
 この妙法の無窮(むきゅう)の力用を万人が解き放つために、大聖人は、最極の唱題行を末法の全人類へ授(さず)けてくださったのだ。
 「法華経の行者の祈り」とは、「誓願」の祈りである。自らが「人間革命」を誓い、「宿命転換」を誓う。「自他共の幸福」を誓い、「立正安国」を誓う。
 そして、その成就(じょうじゅ)のために師子王の心で戦うのだ。

 創立の父・牧口常三郎先生は、自分だけの利益を願う「信者」であってはならないと戒(いまし)められた。
 創価の勇者は、全生命を燃えたぎらせて、大宇宙にまで轟(とどろ)きわたる題目を唱えながら、勇猛に、誠実に、忍耐強く、菩薩の行動に打って出ていくのだ。
 だから、強い。だから、負けない。
 人間として、これほど尊い生命の境地があろうか。この究極の正義の一念に呼応(こおう)して、諸天善神も、仏菩薩も、厳然と動き、働き、守護するのである。

 わが師・戸田城聖先生は、よく同志を励まされた。
 「大聖人を胸に、広宣流布へ祈り戦えば、どんな困難も打開できる。人生の幸福の土台を必ず築ける。
 一家眷属(いっかけんぞく)の永遠の福運も積める。
 一つ一つ、信心で勝つ! これが、我々の発迹顕本(はっしゃくけんぽん)に通ずるんだよ」

 福岡で広宣流布を誓い、村八分による店の窮地(きゅうち)も、わが子の難病も祈り勝ってきた草創の父母がいる。  
 何があっても、「信心は勇気たい。『冬は必ず春となる』よ!」と皆を励まし、三変土田(さんぺんどでん)に走ってきた。
 偉大な母は92歳の今も、矍鑠(かくしゃく)と仏縁(ぶつえん)を広げ、「題目は何でも開いていける力。どんな人にも仏性がある。こちらの題目で必ず変わる。妙法を抱きしめ切って、絶対、勝つばい!」と顔を綻(ほころ)ばせる。

 私たちが、朝な夕な勤行で読誦(どくじゅ)する自我偈(じがげ)には、「慧光諸無量(えこうしょうむりょう) 寿命無数劫(じゅみょうむしゅこう)」(慧光(えこう)の照てらすこと無量にして 寿命(じゅみょう)は無数劫(むすうこう)なり)とある。

 今、192カ国・地域の同志が心を一つに、「世界広宣流布」の大願成就を誓い、「世界の平和」と「一切衆生の幸福」を祈念する時代が始まっている。
 我らの「異体同心」の題目に勝(まさ)る智慧(ちえ)の光はない。この慧光(えこう)で、いよいよ地球を照らしていくのだ。ここにこそ、人類が永遠に栄えゆく軌道があるからだ。
 「ちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)――この大誓願に直結し、いかなる試練も「風の前の塵(ちり)」と吹ふき飛とばして、今年も勝ち進もう! 地涌の我らは勝利を誓って、乱世(らんせ)に生まれてきたのだから!

 誓願
  祈りは無敵と
   万代に
  幸福勝利の
   大光 輝け

大白蓮華 2015年(平成27年)12月号(No.794)

『心こそ大切』のチームワークを!

創価学会名誉会長  池田大作

 世界的に名高い外科医の友に、大手術を成功させる心構えを尋ねたことがある。答えは明快(めいかい)であった。
『チームワークです!』
 とりわけ、陰で支えてくれるスタッフと心を一つにして、皆でベストの力を出し切ることである、と。
 これは、万般に通ずる勝利の鉄則であろう。
 この一年も、わが創価家族は『異体同心』という最極のチームワークで、大法弘通(だいほうぐつう)〈注:正法を広めゆくこと〉に邁進してきた。

『誠心誠意を尽くした仕事は満足をもたらし、そこに悔(く)いはない』と、マハトマ・ガンジーは語った。
 自らの悩みや課題を抱えながらも、法のため、人のため、社会のため、陰の労苦を惜(お)しまず奮闘を続けてくれる尊き宝友に、私は感謝の宝冠を捧(ささ)げたい。

 広宣流布の勝利島の原点たる佐渡の地にあって、日蓮大聖人にお仕えし、流罪を勝ち越えられた後も、師弟の道を貫き通したのが、阿仏房(あぶつぼう)と千日尼(せんにちあま)である。

 夫妻は『にくまばにくめ』〈御書 1308ページ〉と、障魔(しょうま)の烈風(れっぷう)の矢面(やおもて)に立って北国の一門を守り抜いた。心揺れる後輩も包容(ほうよう)し、温かく励ましながら、阿仏房は、大聖人のもとに、幾度となく馳(は)せ参じたのである。

 大聖人は、夫を送り出した千日尼に仰せられた。
『御身は佐渡の国にをはせども心は此(こ)の国に来れり、仏に成(な)る道も此(か)くの如し、我等は穢土(えど)に候(そうら)へども心は霊山(りょうぜん)に住(すむ)べし』〈1316p〉と。
 会わなくとも、貴女の命はここに届いています。私たちの心は、いつも一緒に常寂光(じょうじゃっこう)の都にあります。

 すべてを包まれる御本仏の仰せである。健気な婦人部、女子部をはじめ、わが創価家族を照覧(しょうらん)してくださっている御心と拝されてならない。
 昭和31年、あの大阪の戦いも、皆で心の境涯を明るく大きく開きながらの楽しき前進であった。

 夫を戦争で失い、魚の行商をして、懸命に家族を支える母がおられた。私がユーモアを込め『一畳あれば、勤行も対話もできます』と励ますと、『うちは四畳半もあるから大宮殿や!』と笑顔を輝かせて、ますます元気に広宣流布へ飛び回ってくれた。
 やがて広くなった新居も会場とされ、多くの青年リーダーを育てていかれた。後継の御一家には、今も『お母さんのお陰で』と感謝が寄せられる。

 御聖訓には『凡夫(ぼんぷ)は志(こころざし)と申す文字を心へて仏になり候なり』〈1596ページ〉と結論されている。

 心がいずこに向かっているか。妙法と共に、師弟と共に、同志と共に、慈折広布(じしゃくこうふ)を目指しゆく心は、そのまま大宇宙の仏界の次元に必ず必ず達する。

 この仏法の極意(ごくい)に立てば、何も嘆(なげ)くことはない。たとえ若い時のようには体が動かなくとも、同志や後輩たちに題目を送る多宝の友は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の学会の城で、無量の『心の財(たから)』を自在に積んでいるのだ。

『見えないところで戦う同志を最大に尊敬し、心を配っていく。これが学会精神だよ』。この恩師の指導を忘れず、『心こそ大切』のチームワークで、いやまして仲良く朗らかに勝ち進んでいこう!


  偉大なる
   広布の貢献
     陰徳に
    無量の陽報   
     三世に輝け

大白蓮華 2015年(平成27年)11月号(No.792)

母の讃歌を!女性の凱歌を!

創価学会名誉会長  池田大作

 尊(とうと)き婦人部・女子部の健闘を伺(うかが)う度に、私は思う。
 日蓮大聖人は、いかばかり喜ばれ、この女性たちをどのように讃(たた)え、励(はげ)ましてくださるであろうか、と。

 御義口伝には、「大悲(だいひ)とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり」(721ページ)と仰せである。

 仏法の根本の慈悲(じひ)を「母の心」に譬(たと)えられている。
 この母の心が、平和・文化・教育を推進(すいしん)する創価人間主義の中心にある。だからこそ、学会のスクラムは、限りなく温(あたた)かく、そして明るいのだ。
 生命を慈しみ、人ひとりを大切にする母たち、女性たちの笑顔が最も歓喜(かんき)に輝きわたる世紀を創(つく)る――ここに、人類の境涯(きょうがい)を開きゆく、我らの「広宣流布」「立正安国(りっしょうあんこく)」の実像があるといってよい。

 法華経の宝塔品(ほうとうぼん)の会座(えざ)には、荘厳(そうごん)にして壮大なる七宝(しっぽう)の塔を中心に、多宝如来(たほうにょらい)・釈迦如来(しやかにょらい)・十方の諸仏(しょぶつ)・一切の菩薩が集まっておられた。
 この宝塔品の世界とは、只今いずこにあるのか。
       
 大聖人は、門下の女性に明快(めいかい)に示しておられる。
 「日女御前(にちにょごぜん)の御胸(おんむね)の間・ハ葉(はちよう)の心蓮華(しんれんげ)の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」(1249ページ)と。

 おとぎ話のような素晴らしいロマンの宇宙が、他のどこでもない、妙法と共に生きゆく女性の胸中に、晴れ晴れと広がっている。
 断じて不幸に負けない仏の勇気も、縁する友どちを幸福へと導く仏の慈悲も、今いる場所から平和を創(つく)り広げる仏の智慧(ちえ)も、全部、貴女の心にあると、教えてくださっているのだ。

 にぎやかに
  対話の百花(ひやっか)
   咲かせゆけ
  友の生命(いのち)の
    奥まで照(て)らして

 この。希望の大発見を、創価の女性たちは自らの生命を宝塔(ほうとう)と輝(かがや)かせて立証(りっしょぅ)してきた。

 1964年の12月2日、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした日、私は、ある御一家に励ましを贈った。夫妻で目が不自由な中、難病のお子さん方を育てつつ、信心を貫(つらぬ)いていた御家族である。
 偉大な母は同志と手を取り合い、弘教(ぐきょう)に挑(いど)んだ。
悩みを抱えて自宅に駆(か)け込んでくる友とも、一緒(いっしょ)に涙し題目を唱え抜き、一つ一つ宿命転換(しゅくめいてんかん)していった。

 今、社会で勝ち光る後継の巻属(けんぞく)に包まれ、母は語る。
 「障害(しょうがい)も悪口(わるくち)も忘れるほど無我夢中(むがむちゅう)で、学会歌を歌いながら走りました。何かあっても『さあ、どう乗り越えようか!』と心を決めて戦えば、楽しい」と。

 ともあれ、にぎやかな白ゆりの母たちの確信の声にこそ、また、伸びやかな華陽の姉妹のありのままの振る舞いにこそ、全てを蘇生(そせい)させゆく活力がある。

 世界の識者が仏法を理解する契機(けいき)も、その多くが身近な婦人部・女子部の方への感銘(かんめい)からである。
 戸田城聖先生は、女性の同志をよく激励された。
 「朗(ほが)らかに、はつらつと自分を開いていけば、そこから周囲も変わる。どんな試練(しれん)にも最後は必ず勝つという証(あか)しを、この信心で残していくんだよ」と。

 長かった悲嘆(ひたん)の女性史を一変させる時が来た。
 「女子は門をひらく」(1566ページ)。
 この無限の広がりを持つ御聖訓(ごせいくん)の如く、人類の境涯革命の門を開きゆこう! 母の讃歌(さんか)を、女性の凱歌(がいか)を轟(とどろ)かせて!