大白蓮華 2016年(平成28年)3月号(No.797)
丈夫よ「この道」勝ち抜け!
創価学会名誉会長  池田大作

 我ら壮年部は、1966年(昭和41年)3月、婦人部、青年部に遅(おくれ)るること15年にして誕生した。
 思えば、法華経の会座に最後に馳(は)せ参(さん)じたのは、普賢菩薩(ふげんぼさつ)である。普賢は遅れを取り戻す如く、末法法華経の行者を守護することを、真剣に誓った。
その熱誠(ねっせい)を、仏はことのほか喜ばれたのである。

 壮年部の結成に当たって、私たちは約し合った。
 「壮年部は、各部のなかの一つの部ではない。各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を、守る。創価の城を支えゆく、黄金柱(おうごんばしら)になるのだ」と。

 この誓いのままに、妙法の名将たちは奮い立った。
 私と共に、広宣流布の責任を担い、支部で、地区で、ブロックで、同志を励まし、守り抜いてくれた。

 学会が、諸難(しょなん)ありとも、微動(びどう)だにせず、大発展を遂(あ)げてきたのは、まさしく「黄金柱」たる壮年が、いずこの地にも雄々(おお)しく屹立(きつりつ)しているからである。
      
 いかなる社会と人生の烈風(れっぶう)が吹き荒れようとも、歯を食いしばって厳然と、創価の城を支えてくれた尊き父たちのことを、どうして忘れられようか。
    
 日蓮大聖人は、「天・地・人を貫(つらぬ)きて少しも傾(かたむ)かざるを王とは名けたり」(1422ページ)と仰せである。
 大宇宙をも包(つつ)みゆく、壮大な「一念三千」の法理を行ずる我らだ。  
 権力によらず、財力にもよらず、ただ一人の男として生命の本源の底力を発揮し、生老病死(しょうろうびょうし)の苦悩に応戦して、創価家族を牽引(けんいん)するのだ。
 無名無冠(むめいむかん)なれど、最も誇り高き人間王者である。


  丈夫よ
   この道勝ち抜け
    友のため
   王者の戦を
     堂々飾れや


 恩師・戸田城聖先生は「王者の中の大王者」の道を進み抜かれた。先生は悠然(ゆうぜん)と語られている。
 「私は、かりに地獄に堕ちたとしても平気だよ。
 その時は、地獄の衆生折伏(しゃくぶく)して寂光土(じゃっこうど)とするんだ。
 男が臆(おく)せば男ではない。どんな苦労も仏の力に変えられる。三障四魔(さんしょうしま)が強いのは、むしろ信心で、必ず勝てるという証(あか)しなんだ。人生は強気でいけ!」と。

 創価の王者に恐れはない。逡巡(しゅんじゅん)もない。気取(きど)りもなければ、威張(いば)りもない。ありのままの人間味で、庶民と共に、庶民のために、毀誉褒既(きよほうへん)など豪快(ごうかい)に笑い飛ばして戦う。現実社会の只中で、法華経の兵法を掲(かか)げて大闘争を続ける。そして、後継の宝の若人を慈(いつく)しみ、自分以上の大人材へと育てゆくのだ。

 愛する神奈川天地に、村八分の圧迫も、倒産の憂(う)き目も、命に及ぶ大病も、信心で勝ち越えてきた、誉(ほま)れの戦友がいる。
「われ地域広布の責任者なり。創価の世雄(せおう)の生き方を見よ!」と社会に信頼を広げ、保護司(ほごし)として大勢の人々の更生(こうせい)にも尽(つ)くしてきた。

 今、各地で五勇士(ごゆうし)や十勇士(じゅうゆうし)も陸続と躍(おど)り出ている。   法城厳護(ほうじょぅげんご)の王城会(おうじょうかい)や、太陽会はじめ生涯求道の丈夫(ますらお)たちも、何と頼もしく奮闘(ふんとう)してくれていることか。

 史上空前の高齢社会に、わが青年部で戦った団塊(だんき)の世代がいよいよ「黄金柱」として輝いていくのだ。
 壮年部の誕生から半世紀。「50にして天命を知る」だ。何があろうと勝って同志を守り抜く。この天命をば、共々に断固と果たし切ろうではないか!