大白蓮華 2015年3月号 巻頭言

 「 巻頭言 」
 「喜悦はかりなし」の信心の炎を !
                       創価学会名誉会長 池田 大作


 モンゴルの大詩人であり、共に「友情の大草原」を広げてきた、ツェデブ博士は高らかに謳った。
 「心に火を持つことほど、爽快にして健康なものはない/胸に炎を持つことほど、顔を輝かせるものはない」と。
 この心の火が失われ、胸の炎が消えてしまえば、人の世は凍え、時代は闇に覆われてしまう。
 日蓮仏法は、万人の胸奥に「仏性」という最極の生命の炎を灯しゆく太陽の法理である。
 我ら創価家族は、正法の聖なる火を、あの町でも、この街でも一人一人の心に点火してきた。
 その人間主義の熱は民衆の心を励まし温め、その生命尊厳の地域・社会を明るく照らしている。
 御義口伝には、「今 日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」(710㌻)と仰せである。
 妙法の知恵こそが、生老病死という苦悩の闇を打ち破る大光であり、いかなる悩みも難題も前進の力へ転換しゆくエネルギーなのである。
 ゆえに、自行化他の題目を唱え、この究極の智慧の炎を燃え上がらせるならば、自分自身の命が変わる。宿命も変えられる。どんな人も、どんな国土も、必ず必ず変えていけるのだ。
 その希望のドラマを示していくのが、我らの「人間革命」の挑戦であり、「立正安国」の連帯である。

    たくましく

     広布に生き抜く

       一念に


     勇気よ 歓喜

       炎と輝け

 懐かしき北海道の草創のご夫妻は、大雪の猛威も、言うに言われぬ旧習の圧迫も、大病も、すべて撥ね返して、実証を示し、仏縁を広げ抜いてこられた。
 「悪口のおかげで強くなれました。臆せば、何も変わらない。大確信の対話は必ず通じます。相手の変わる姿から、信心のすごさを学びました。地涌の菩薩の命を燃やし続けて、地域に盤石な楽土を築いていきたい」。そう語る笑顔皺が、あまりに神々しい。
 こうした多宝の先輩たちの尊き学会精神の炎を、わが後継の青年部は、広宣流布の実践の中で、たくましく受け継いでくれている。創価の若人の大情熱こそが、同世代の冷めた友の心をも熱く揺さぶり、蘇らせていく陽光なりと、私は確信してやまない。

 日蓮大聖人は、命に及ぶ佐渡流罪の大難の中で、悠然と「流人なれども喜悦はかりなし」(1360㌻)と言い放たれた。
 この御本仏に直結して、命の奥底に灯した我らの誓いの火は、断じて消えない。試練の烈風が吹き荒ぶほどに、いよいよ燃え盛るのだ。
 わが恩師・戸田城聖先生は叫ばれた。
 「いろんな悩みや人の中に飛び込んで、もみくちゃになって戦ってこそ、自分が変わり、周囲も変えていける。その喜びをつかむための悩みでもあるんだよ。我らは勇敢に濁世を救おうではないか!」と。
 さあ、共々に「喜悦はかりなし」と、信心の炎を燃やし、わが使命の国土を赫々と照らしゆこう!

                                            2015-3大白蓮華
 

大白蓮華 2015年(平成27年)2月号(No.783)    創価学会名誉会長 池田 大作

 「我此土安穏」の地域づくりを

 わが家には、朝な夕な清々しい勤行の響きがある。
それが、どれほど躍進する幸福のリズムであるか。
 御書には、「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(1374?)と伝教大師の文を引かれている。
 勤行は、大宇宙の究極の法則たる妙法に合致して、生きる喜びを謳い上げていく生命の賛歌である。
 自我偈には「我此土安穏」、即ち「衆生は劫尽きて大火に焼けかるると見る時も 我が此の土は安穏にして天人は常に充満せり」(法華経491?)と説かれる。
 どんな濁世にも、我らは勤行の会座から出発する。そして三世十方の仏天を揺り動かし、いかなる災難も不幸も打ち払いながら、自らの使命の天地から「我此土安穏」の世界を創り開いていくのだ。
 
 日蓮大聖人は、「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(1578?)と仰せになられた。
 妙法を信受して行動する人こそ、貴き仏の生命を、自他共に輝かせてゆける「宝の人」である。
 「宝の人」のいるところ、互いに尊敬し、支え合う「宝の絆」が結ばれる。その連帯から、何ものにも壊されない立正安国の「宝土」が広がりゆくのだ。
 いずこにも、経文通りの「悪口罵詈」を耐え忍び、血の滲む努力を重ね、地域の信頼を勝ち取ってきた無名にして尊貴な父母の勝利劇が刻まれている。
 忘れ得ぬ熊本県天草の功労の母は、村八分の圧迫にも、邪宗の迫害にも屈せず、また台風の被災など、越すに越されぬ試練の坂を勝ち超えてこられた。
 「大好きな郷土から不幸を断ち、皆を幸福にしたい。このために生まれてきた地涌の菩薩が私です。この私の誓願の人生を見なっせ!負けんばい!反発する人たちも、私の信心を鼓舞してくれていると思うと感謝が湧き、救わずにおられんとです」と、今も新たな対話に挑戦を続ける。この宝の心を、お子さん方も、地域の青年たちも受け継いでいる。
 十六年前、台湾はマグニチュード 7・6の大地震に見舞われた。救援活動に献身するSGI(創価学会インターナショナル)の同志に、私は祈りを込めて「我此土安穏 天人常充満」と認め、お贈りした。


   今生の

     楽しき思い出

        今日もまた

     縁の地域を

        広布の宝土へ


 わが友が不屈の闘魂と団結で、この苦難を変毒為薬し、復興に貢献してこられた歴史を、私は忘れない。
 思えば、敗戦の焼け野原に、戸田城聖先生が一人立たれて、人類の生存を脅かす魔性へ戦いを開始されてより七〇年―――。今や、民衆の平和と幸福のネットワ−クは、揺るぎなく地域を包んでいる。
 恩師は、広布の拡大に励む友に呼びかけられた。
 「誰に対話しても、大誠実でいこう! 一念三千であるゆえに、わが一念に仏性を現していけば、相手の境涯も必ず変わっていく。自分が動き、語った分、地域を安穏の楽土に変えていけるんだよ!」と。
 何より心強いことは、我らには日本中、世界中に「異体同心」の同志がいる。「従藍而青」の人材が続いている。共に祈り、共々に励まし、守り合って、今年も「我此土安穏」の地域づくりに勇んで挑もう!

                                2015/2/11

 

大白蓮華 巻頭言   題目の師子吼に恐れなし   (大白蓮華 2015.1月号)

 新たな一年を、生まれ変わったように新鮮な生命でスタートしたい。そして、新たな一日また一日を、元旦のように清新な息吹で前進し続けていきたい。これは、万人の願望であろう。
 「毎日毎日が、両手に余るほどの可能性を引きつれて私のもとを訪れます」と微笑んだのは、障がいに負けず、社会貢献を貫いたヘレン・ケラーである。
 宿福深厚にも妙法を受持した私たちは、来る年も、来る朝も、題目の音声とともに、久遠元初の太陽を昇らせ、わが生命を蘇らせていくことができる。
 御書に「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(947㌻)と仰せの通り、唱題行こそ究極の若さと、無限の活力の源泉なのである。
 地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである。いわゆる何かに弱々しくすがる願いなどではない。自ら誓いを立て、その成就へ一念を定め、大宇宙の根本法則に合致し、全生命で轟かせゆく師子吼なのである。これほど強く、これほど荘厳な力はない。
 わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
 「日蓮大聖人と共に、妙法広布を誓い、戦う人の祈りは必ず叶っていく。三障四魔よ、何するものぞとの大確信で祈り切れ」と。さらにまた、「一人の強盛の信心の祈りに、皆がついてくる。皆が最後は幸福になれるんだよ」とも教えてくださった。
 ゆえに、何があっても、まず題目だ。
 題目の人は、断じて行き詰まらない。
 大聖人は、病と闘ってきた門下を励まされて、「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり(1015㌻)と仰せになられている。そして、法華経に説かれた、「病即《すなわち》消滅して不老不死ならん」、また「現世は安穏にして後生には善処ならん」、さらに「諸余怨敵皆悉く催滅せん」との経文を送られた。
 自行化他にわたって、妙法を実践しゆく我が生命は、大聖人の御生命と一体不二である。
 朗々たる題目で、病魔を乗り越え、「健康長寿」を勝ち開いていくのだ。どんな宿命も使命に転じて、自他共に、永遠の大幸福境涯を築いていくのだ。
 正義の仏天を揺り動かしながら、いかなる強敵《ごうてき》も打ち破り、「絶対勝利」の実証を現していくのだ。
 雪深き青森で、四十年以上も、聖教新聞を配達されてきた功労の母がおられる。かつては村八分にも遭った。しかし百の圧迫には、百以上の智慧と力で勝つと決めて、断じて屈しなかった。今、「わが地域は日本一」と胸を張りながら、語られる。
 「題目は何でも生み出せる力です。祈れば、幸福になってほしいと、自分自身の仏性から言葉が出て、相手の仏性に届きます。新しい同志をつくり、友好を広げることが、何よりの生きがいです」と。
 あまりに尊き創価の法友の希望と勇気の唱題が、地域社会も地球社会も包みゆく時代に入った。
 さあ、躍進の一年、師弟の誓願に生きる我らは、題目の師子吼も誇らかに、勝ち進もうではないか!

 題目の
  師子吼の我らに
     恐れなし
   功徳と勝利を
     無限に開けや

大白蓮華 2014年(平成26年)12月号(No.781)

 巻頭言
「陰徳陽報」の誉れの友に感謝!

創価学会名誉会長 池田大作

 私は何よりも誇(ほこ)りとする。
 陰(かげ)の労苦(ろうく)をいとわず、誰が見ていようがいまいが、広宣流布の「陰徳(いんとく)」に徹(てっ)し抜(ぬ)いてくれる尊き(とうと)同志を!
 私は何よりも喜びとする。
 健気な同志と巻属(けんぞく)が、いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)も超え、所願満足の勝利の「陽報(ようほう)」に包まれゆく晴れ姿を!

 日蓮大聖人は、四条金吾の夫人である日限女(にちげんにょ)の人知れぬ「陰徳」を「心ざし大地よりも・あっし地神(ちじん)定(さだ)めてしりぬらん・虚空(こくう)よりも・たかし梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)もしらせ給いぬらん」(1115ページ)と賞讃(しょうさん)なされた。
 とともに、夫である金吾の大城実の信心を讃え、「かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり」(1171ページ)と約束しておられる。

濁(にご)り乱(みだ)れた娑婆(しゃば)世界にあっては、真面目な庶民が積み重ねてきた努力が報(むく)われずに、校賢(ずるがしこ)い小才子(こざいし)が幅を利かすという矛盾(むじゅん)が渦巻(うずま)いている。
 人類の歴史を振り返ると、正義の善人が、非道(ひどう)の悪人に陥(おとしい)れられてきた悲劇(ひげき)も、あまりにも多い。
            
 しかし、仏法の透徹(とうてつ)した三世永遠の因果(いんが)の理法(りほう)に照(て)らすならば、善と悪、正(せい)と邪(じゃ)の賞罰(しょうばつ)は厳然(げんぜん)だ。
 邪悪(じゃあく)の徒(やから)は「終にほろびざるは候はず」(1190ページ)の末路(まつろ)をたどる。
 妙法を唱え、広宣流布誓願に、善知識(ぜんちしき)の同志と共に生き抜く人生は、絶対に最後は勝ち栄える。
 勇気と希望の大逆転劇を、いずこにあっても、晴れ晴れと示し切ってきたのが、我ら創価学会である。

 黙々(もくもく)と
   陰の労苦に
      徹(てっ)したる
   妙(みょう)の照覧(しょうらん)
    三世に薫(かお)らむ

 幼き日に両親を亡くし、言い尽くせぬ苦労を重ねた京都の友がいる。何10年と広布の会場を提供され、夫妻で青年をわが子の如く慈(いつくし)しみ、育成してくれた。

 「今日も、わが家に地涌の菩薩の同志が来るよ。仏様が来られる。嬉しいね。感謝せなあかん。大切にせなあかん。一緒に戦い、勝っていくんや!」と。
 この宝城から、どれほど人間革命のドラマが生まれ、常勝を担(にな)い立つ人材が躍(おど)り出てきたことか。
 功労の父母の福徳を受け継ぎ、お子さん方も、お孫さん方も、輝き光るりリーダーと活躍している。

 「法」と言っても所詮(しょせん)、弘めるのは「人」である。
ゆえに人を育てることこそ、究極(きゅうきょく)の「陰徳(いんとく)」といってよい。その「陽報(ようほう)」は、まさに計(はか)り知れないのだ。

 「焦(あせ)らず進むのだ。自分が人一倍、苦労し、人一倍、後輩を伸ばし、人一倍、功徳を受け切っていくんだよ!」とは、恩師・戸田城聖先生の激励である。

 来る年も来る年も、創価家族は一丸となって、若き地涌(じゆ)の友を呼び出し、育(はぐく)み続けている。
 「あなたの真剣な祈りと、慈愛(じあい)あふれる励ましがあればこそ、こんなにも幸せになれました!」との感謝に包まれることほど、尊貴(そんき)な生命の栄光はあるまい。

 「陰徳陽報(いんとくようほう)」の誉(ほま)れの友に最敬礼(さいけいれい)し、私は19世紀シルクロードの詩人ベルダフの一節を捧げたい。
 「人間の幸福のために汗を流せば、汝(なんじ)の誠実なる労苦は無駄(むだ)にはならぬ。いつの日か、民衆が、汝の労苦と汗に讃嘆(さんたん)を贈りゆくのだ」

11月の広布史 創価学会創立記念日

写真 学会創立当初の牧口会長と戸田会長
学会創立当初の牧口会長と戸田会長

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創価教育学体系』の発刊
11月18日は、創価学会創立記念日です。1930(昭和5)年のこの日、牧口常三郎初代会長の著書『創価教育学体系』の第1巻が発刊されました。
牧口会長は、1871(明治4)年6月6日、現在の新潟県柏崎市に生まれ、北海道で教員となり、以後、教育者の道を歩みました。
1928(昭和3)年、57歳のとき大きな転機が訪れます。日蓮大聖人の仏法との出会いでした。長年求め続けた、全民衆の幸福を目指す人間主義の哲学に触れた牧口会長は、自分がこれまで書きためてきた教育理論を、今こそ体系化しようと決意します。

師と弟子ふたりだけの出発
牧口会長が自らの決意を真っ先に語ったのは、愛弟子である後の戸田城聖第二代会長に対してでした。
1929(昭和4)年2月のある夜、思いを聞かされた弟子は、師の教育学説は自分が出版しようと決意します。「先生の教育学は何が目的ですか」「価値を創造することだ」「では先生、創価教育と決めましょう」
こうして、牧口会長の教育学説は「創価教育学」と名づけられました。弟子は、牧口会長が書きためた膨大なメモを整理する作業と、出版資金の捻出を、一手に引き受けました。
翌年に発刊された『創価教育学体系』第1巻の奥付には「著作者・牧口常三郎 発行兼印刷者・戸田城外※注 発行所 創価教育学会」とあります。
1930(昭和5)年11月18日。『創価教育学体系』第1巻の出版の日が、師と弟子たったふたりの「創価教育学会」の出発でした。これが現在の創価学会が創立された歴史的な日となったのです。
※戸田会長は、戦後、「城聖」と改名する以前に「城外」と名乗っていました
コラム

牧口初代会長、殉教の日
11月18日は、牧口初代会長の命日でもあります。
戦争に突き進む日本の軍部政府は、昭和10年代後半から、本格的に思想の統制に乗り出し、やがて、国家神道を全国民に強制するという暴挙に出ます。
牧口会長は、これに真っ向から抵抗。各地で活発に座談会を開催し、軍国思想を堂々と批判し、仏法の正義を説き続けたのです。迫害は必至でした。特高警察は、1943(昭和18)年7月6日、牧口会長・戸田城聖理事長をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪の容疑で逮捕、投獄したのです。
真冬に暖房もない極寒の独房、栄養失調になるほどのわずかな食事、連日の厳しい取調べ——それでも牧口会長は、信念を曲げることなく、不屈の闘争を貫きます。しかし、牢獄での過酷な日々は、70歳を超えていた牧口会長の体を確実にむしばんでいきました。
1944(昭和19)年10月13日付で獄中から家族にあてた手紙。「三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」との、信仰への確信にあふれた言葉が、牧口会長の絶筆となりました。1月後の、11月18日。牧口会長は獄中で亡くなります。73歳でした。
多くの宗教者や思想家が、迫害に屈して軍国主義を賛美した暗い時代にあって、牧口会長が貫いた不屈の“精神”は、いまなお、不滅の光を放っています。
参考資料

『人間革命』  第1巻「一人立つ」  第2巻「序曲」
『新・人間革命』  第2巻「勇舞」  第3巻「平和の光」
牧口常三郎 獄中の闘い−訊問調書と獄中書簡を読む』宮田幸一著  第三文明社
国家主義と闘った牧口常三郎』村尾行一著  第三文明社レグルス文庫
創価教育の源流 牧口常三郎』 潮出版社 Pumpkin visual books



わが友に贈る

2014年 11月4日
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今週のことば

2014年 11月3日
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名字の言
 かつて、創価大学本部棟で見た写真額。創立者の池田名誉会長が、訪問したある外国の街並みを、カメラに収めた一枚だった。
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大白蓮華 2014年(平成26年)11月号(No.780)

巻頭言

白ゆりと華陽のロマンの物語を!
創価学会名誉会長  池田大作

 自信をもって世の中へ打って出る勇気を、これからの女性に大いに育んでもらいたい──「平和研究の母」ボールディング博士と語り合った願いである。

 博士も、”払は我ながら自信が強いほうだと思います。それは母が「人間は誰もが重要な存在なのよ」と教えてくれたからです”と、微笑(ほほえ)んでおられた。
 母の真心の励ましに勝(まさつ)る力が、いずこにあろうか。

 御義口伝(おんぎくでん)には、「宝浄(ほうじょう)世界とは我等(われら)が母の胎内(たいない)なり」(740ページ)と仰せである。
 御本仏が、私たちの生命は、母という何よりも荘厳な宝浄世界から湧現(ゆげん)した尊極の宝塔(ほうとう)であると、明かしてくださっている。この原点に深く目覚めれば、尽きせぬ自信と感謝が込み上げてくるではないか。

 初代会長・牧日常三郎先生は、女性こそ「未来の理想社会の建設者」なりと叫ばれ、すべての母たち、女性たちの幸福を祈り、そのために戦い抜かれた。
 あまりに崇高(すうこう)な牧口先生の殉教(じゅんきょう)より70年—。

 創価の母たちは、「どんな人も仏の生命を持っている」という大哲学を掲(かか)げ、「必ず幸せになれる」「どんな宿命も転換できる」「絶対に大丈夫!」という大確信の励ましを、1人また1人に贈り続けてきた。
 そして今、日本全国も世界各地も、婦人部と女子部の麗(うるわ)しいスクラムが黄金の輝きを増し、「白ゆりの心」を脈々と受け継ぐ「華陽(かよう)の乙女たち」が、仲良く朗らかに希望の対話を広げてくれている。
 創立の父も、どれほどお喜びくださるであろうか。

 白ゆりと
  華陽の宝友(とも)に
      ロマンあり
   女性の世紀の
     生命の賛歌(さんか)を

 女性の一生は「幸福の門」を開く劇といってよい。
なかんずく、「女人成仏」の妙法を受持した女性は、自分も幸せになり、縁(えん)する家族も、眷属(けんぞく)も、地域も、社会も、世界も、未来も、幸福へとリードできる。
 その途上に起こる波乱(はらん)の一幕一幕は、自他共(じたとも)に永遠の福光(ふっこう)の大境涯を勝ち開くためにこそあるのだ。

 わが師・戸田域聖先生も温かく包(つつ)み励まされた。
 「何でも一筋縄(ひとすじなわ)では行かないのが人生だ。しかし、全部、意味がある。苦難が大きい分、功徳も大きい。
 妙法を抱(だ)きしめて、障魔(しょうま)よ何するものぞ! と戦うんだよ。信心は自分を変え、一切を変える力だ」と。
 これほど明るく、これほど気高く、これほど人々に歓喜と感動を広げゆくロマンの舞台があろうか。

 「昭和47年7月豪雨」と記録される災害の折、愛する山光の島根で救援(きゅうえん)に走った同志の中に、忘れ得ぬ母がいる。長年、悪口罵言(あっくめり)の中、弘教を貫(つらぬ)き、破産(はさん)の危機(きき)も克服(こくふく)し、地域に信頼を広げてこられた。
 「人のために悩み折れることが最高の功徳です。試練を打ち負かすまで、とことん一緒に勝ち切ります。
1人から喜びの物語は始まるのですから!」と。

 「目標は母です!」と、白蓮グループ、鼓笛隊出身の嬢さん方はじめ、ご家族も地域の友も颯爽(さっそう)と続く。
 女性の涙の上に築かれてきた人類史を転換(てんかん)しゆく、創価の婦女一体の「喜びの物語」「希望の物語」「ロマンの物語」は、いよいよ楽しく賑(にぎ)やかだ。
 世界広布新時代の躍進の門は、ここに聞かれた!

巻頭言

強く明るく 喜びの調べ!

創価学会名誉会長  池田大作

 「何かあっても負けない青春、負けない一生を!」
 これは、わが創価の女性たちの合言葉である。
 簡潔でありながら、なんと奥深い哲学が秘められ、
なんと誇り高い信念が込められていることか。

 「御義口伝」には、「自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである」(787ページ、趣意)と仰せである。

 幸福の宮殿とは、どこか遠くにあるのではない。
わが生命の中にある。わが生命が宮殿なのである。
 いかに苦しくても、いかに大変であっても、題目を唱えゆくならば、妙法と一体となり、前へ進む力が漲(みなぎ)ってくる。生き抜く勇気が込み上げてくるのだ。

 法華経には、「三界は安きこと無し 猶(な)お火宅の如べし 衆苦(しゅく)は充満して 甚(はなは)だ怖畏(ふい)す可(べ)し」(妙法蓮華経並開結191ページ)と説かれる。
 とりわけ末法に入り、天変地異が重なる世には、心の広い人も狭くなり、道を求める心を持つ人さえも邪見(がけん)になってしまうと、御書には喝破(かっぱ)されている。

 そうした時代の真っ只中で、あの友の心にも、この友の心にも、何ものにも壊(こわ)されない希望の宮殿を開いてきたのが、創価の草の根の対話といってよい。
 その力は、祈りと真心から発する「励まし」の声だ。
人を傷つけ、誰かし、引き裂(さ)く残忍(ざんにん)な言葉が渦巻く社会にあって、それは、あまりに温かく、正しく、溢(あふ)れる善意で人々を結び合わせる挑戦でもある。

いつの世も
 共に励まし
    守り合い
  勝利の旅路を
     明るく開かむ

 日蓮大聖人は、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共(じたとも)に智慧(ちえ)と慈悲(じひ)と有るを喜(き)とは云うなり」(761ページ)と教えてくださった。 
 その通り、わが宝友たちは、日本中、世界中で、強く明るく喜びの調べを奏(かな)で、智慧と慈悲のスクラムを広げてくれているのだ。

 「一切世間に怨多(あだおお)くして信じ難(がた)し」と言われる如く、誠心誠意、訴えた正法の哲理が、閉ざされた心、頑(かたく)なな心から反発されることも、多々ある。
 しかし、折伏の大師匠・戸田城聖先生は語られた。
「法を弘めようと悩む。人々を幸福にしようと悩む。広宣流布のために悩む。これほど素晴らしい仏の悩みはないではないか」と。
悩んだ分だけ、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)で、仏の境涯が深まり、大福運が積まれるのだ。
 山形広布の母は、夜なべの内職で生活苦に挑みながら、夫と共に広大な天地を広布へ走った。2人のお子さんとの死別の悲哀(ひあい)も乗り越え、打ち続く災害にも皆を励まし、90歳となる今も毅然(きぜん)と戦う。
 「三世の幸福を贈る折伏は、どんな富豪や権力者もできません。辛い時こそ、友に『私がいるよ、学会員がいるよ』と叫びたい。皆、命の底で妙法を求めていると思えば、励ましの心が湧いてきます」と。

 文豪ビクトル・ユゴーは、「人に与える喜びには、反射のように弱まってもどるどころか、輝きを増してはねかえってくるという性質がある」と綴った。
 我らは、共々に生命の大歓喜の輝きをいや増し、何かあっても負けない「人材の城」を築きゆこう!