大白蓮華 2014年(平成26年)4月号(No.773)

「多宝」の賢者よ永遠に前へ!


創価学会名誉会長  池田大作


 万物は流転(るてん)する。あらゆるものが流れる川のように変化しっつ、瞬時(しゅんじ)も止まらない。その転変の中で、自他共(じたとも)の生命を、希望へ、幸福へ、平和へ、無限に前進せしめていく究極の力が、我らの信仰である。
 
 名作『大地』の作者パール・バックは、敬慕(けいぼ)する母が晩年の闘病中に語った言葉を書き留(とど)めている。
 「私の精神はまっすぐに進んで行くことを憶(おぼ)えていておくれ」「喜んで、凱旋(がいせん)するように死ぬよ」と。生老病死は誰人も避けられぬ根本の命題である。

 特に空前の高齢社会は「老い」の期間が長くなり、これまでにない課題に直面している。だからこそ、多宝会(たほうかい)・宝寿会(ほうじゆかい)・錦宝会(きんぽうかい)の皆様を中心に、我ら創価家族の新たな挑戦と開拓の使命は、一段と大きい。

 どんな財産も権力も、「老い」そして「死」という峻厳(しゅんげん)な現実の前には、儚(はかな)い幻(まぼろし)と消え去ってしまう。
 鋭く問われるのは、いかなる哲学を持ち、いかなる人生を生きてきたのか。この一点であろう。
  
 御義口伝(おんぎくでん)には、「自身法性(じしんほっしょう)の大地を生死生死(しょうじしょうじ)と転(め)ぐり行くなり」(724ページ)と仰せになられた。
    
 妙法は、永遠不滅の大法則である。なれば、妙法を唱え、広宣流布に生き抜く私たちの生命もまた、永遠不滅であり、金剛不壊(こんごうふえ)である。生の時も、死の時も、私たち自身が南無妙法蓮華経の当体として、「法性(ほっしょ)の大地」すなわち「常楽我浄(じょうらくがじょう)の大地」の上を、必ず必ず悠然と進んでいくことができるのだ。
 ゆえに、何があっても、断じて恐れることはない。


 生き生きと
  誓願の旅
   三世まで
  常楽我浄の
    道を楽しく
       
 日蓮大聖人は、齢(よわい)九十の老いたる姑(しゅうとめ)を真心込めて介護(かいご)し、その安らかな臨終を慈愛深く看取(みと)った富木常忍(ときじょうにん)の夫人を最大に労(ねぎら)い、讃えてくださっている。

 看病の辛労(しんろう)もあったのであろう、夫人は自らも大病との闘いが続いた。しかし負けなかった。
 大聖人は、「我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なに(何)のなげき(歎)か有るべき」(976ページ)と励まされた。

 長年、信心してきたのに、なぜ自分が病気になるのか、なぜ家族の介護が必要になるのか、などと思い歎く必要は全くない。一切が「転重軽受(てんじゅきょうじゅ)(動きを転じて軽く受く)であり、「変毒為薬(へんどくいやく)」できる。

一つ一つ力を合わせ、信心で勝ち越えていく中で、家族が共に仏になる道が深く大きく開かれるのだ。
 
 あの岡城址(おかじょうし)で一緒に「荒城の月」を歌った大分の多宝会の母は、多くの友人の幸せを願う宝友帳を抱えて、今も元気いっぱいに対話を重ねている。
          
 「広宣流布のために生まれてきた私です。辛いことも、悲しいことも、すべてが使命とわかれば、感謝の涙が溢(あふ)れてなりません。心の財(たから)で勝ちます」と。
       
 わが学会員が、確信に満ちて、生命の宝塔(ほうとう)を輝かせながら、大歓喜の人生を総仕上げしゆく姿こそ、長命を寿(ことほぐ)ぐ幸齢社会(こうれいしゃかい)への何よりの光明であろう。

 恩師・戸田城聖先生は、「烈風(れっぷう)の中を、にっこり笑って、最後の日まで戦え!」と叫ばれた。
 
 「多宝」の賢者(けんじゃ)のわが友よ、永遠に希望に燃えて、一緒に前へ前へ、進みゆこうではないか!