「日中友好」を開いた大信念

5月29日は、池田名誉会長が中国訪問の第一歩をしるした日である。1974年5月29日、創価学会初の訪中団が羽田空港を出発。一行は香港を経由し、36時間かけて北京入りした。

 2年前に国交が正常化したばかりの両国には、まだ首都をつなぐ直行便もなかった。東西冷戦下、日本はアメリカに同調し、中国に対し敵視政策を取っていた。だが名誉会長は、世界平和のために断固たる信念で初の訪問を実現した。

 以来34年。名誉会長は、歴代の国家首脳と交流を結び、平和・文化・教育の民衆レベルの友好促進に熱誠を注いできた。中国への訪問も、実に10度を数える。

 「先生は長期にわたり、中日友好にご尽力をなされました」。今月8日に再会した胡錦濤国家主席の声が、大きく会見場に響いた。

 胡主席は、「創価学会は、長年にわたって、中日友好を促進する重要な存在」「あらためて、池田先生がご都合のよいときに訪中されることを、心からお願い申し上げます」と語った。国家首脳として異例とも言える発言も、日中平和交流に力を尽くしてきた名誉会長の長年の行動を熟知しているからにほかならない。

 「アジアの民に 日をぞ送らん」――かつて戸田第2代会長は詠んだ。どこまでも民衆の幸福を願う仏法者としての思いであった。

 師の魂を継いだ名誉会長は、68年、日中国交正常化提言を発表。「日中国交についても、その対象の実体は、中国七億一千万の民衆にある」――弟子の思いもまた同じであった。平和への願いは、どの国の民衆も変わらないはずだ、との確信があった。だからこそ、偏狭な勢力の圧迫も覚悟の上で、決然と提言を発表し、国交正常化の道を切り開いたのだ。

 ――中国の少女が、はにかみながら尋ねた。「おじさんは、どこから来たのですか」「日本から来ました。あなたに会うために来ました」。少女はほほ笑んだ――。第1次訪中でのひとコマだ(小説『新・人間革命』)。こうした“顔の見える”交流が、今日の友誼の道を開いたのだ。

 交流の道は決して平坦ではない。しかし、「大三国志展」の大盛況など、名誉会長が結んだ文化・教育交流の金の橋は、着実に友好の実りをもたらしている。

 初訪中の北京で、名誉会長は宣言した。「言葉ではありません。私たちのこれからの行動を、見てください!」。この一念が今、両国の大地に大きく花開いている。(08.05.30聖教・社説)