春分の日

「彼岸」に入り、20日の「春分の日」を中心に、各地の主要会館、研修道場、墓地公園等で「春季彼岸勤行法要」が厳粛に執り行われる。

 真心から勤行・唱題・焼香をし、故人の追善回向を行っていきたい。

 追善回向の意義について、「回向」とは、「回らし向ける」と読むことから明らかなように、自身が仏道修行をして得た功徳を故人に向けていくことが本来の意義である。

 したがって、正しい仏法を行じて、自身に功徳・福運を積んでいくことが、亡くなった人々への回向の大前提となる。

 日顕宗は「寺に来て、僧侶に拝んでもらわなければ回向にならない」などと言っているが、まったくの邪義である。

 仏法を利用して金もうけをたくらむ「食法餓鬼」の所業にほかならない。

 宗教の本義が実践の中にあることを考えると、回向は僧侶に拝んでもらうことではなく、あくまでも自分自身の信心によるのである。

 なかんずく、広宣流布の破壊を企て、正本堂などを破壊してきた日顕宗は、日蓮大聖人に敵対する「邪教」であることが明白であり、そのような邪教による祈りは、回向どころか故人を苦しめることになるのである。

 日蓮大聖人の仏法を、今日に正しく継承し実践している教団は、唯一、創価学会しかない。学会活動に参加し、仏道修行に励んでいくことこそが、真実の追善回向となるのである。

 大聖人は次のように仰せられている。
 「法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う」(御書1430ページ)

 この御文に明らかなように、正法を真剣に行じた功徳は、自身の幸福をもたらすだけではなく、無量生にわたる先祖や子孫にも及んでいく。

 その意味では、「彼岸」や「盆」だけが回向の機会となるのではない。「常彼岸」といわれるように、広宣流布を目指す日々の学会活動そのものが、真の回向になっていることを確信したい。

 春3月――。陽光とともに万物が躍動していく季節を迎えた。その自然のリズムに呼応し、すがすがしい息吹をもって、力強く広布の活動に励んでいきたい。 (08.03.19:聖教社説より)