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2013-02-05
小説「新・人間革命」 5023 2月5日
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法旗53



 山本伸一が夕食をとることができたのは、松山支部結成十八周年記念勤行会を終えた、午後八時過ぎであった。管理者室に顔を出し、そこで食事を済ませると、四国婦人部長の佐木昭枝や県婦人部長の田渕良恵らが集まってきた。
 この時、婦人部幹部の一人が言った。
 「昨日の県幹部会、また、今日の松山支部結成の記念勤行会で、愛媛のたくさんの同志とお会いしていただきました。みんな大喜びでした。大変にありがとうございました。
 でも、愛媛には、先生にお会いしていただきたい方が、まだたくさんおります。そういう方々をお呼びして、明日、先生のお見送りをさせていただいてもよろしいでしょうか」
 明十九日は、伸一が愛媛から、香川に移動する日である。
 伸一は、尋ねた。
 「明日のことなのに、これから連絡を流して間に合うの?」
 「はい。大丈夫です」
 彼は頷き、側にいた四国総合長の森川一正に明日の松山発は何時の列車かを尋ねた。「二時二十三分発です」との答えが返ってきた。
 「それなら、皆さんがよろしければ、正午から婦人部の勤行会を開催しましょう」
 婦人たちの顔が、ほころんだ。
 伸一のスケジュールは、ぎっしりと詰まっていた。昼食の時間を勤行会にあてたのだ。
 彼は、言葉をついだ。
 「婦人以外の方でも、来たい方は自由に来てくださってかまいません。しかし、明日は木曜日ですので、多くの人は仕事があるでしょう。仕事を休んで参加するように呼びかけたりしてはいけませんよ。
 私は、できることならば、全同志とお会いしたい。皆さんの会長ですもの、皆さんに仕えるのが当然であると思っています。それが幹部なんです。会員の皆さんがいるから幹部がいる。幹部のために会員がいるんじゃありません。もしも、それを幹部が勘違いしたら、学会は滅んでいきます」























小説  新・人間革命
編集法旗51



 山本伸一は、第三代会長に就任して二年後の秋、岩田サワに一冊の真新しいアルバムを贈った。その扉には、「幸福の綴」と認められていた。苦労に苦労を重ねてきた人ゆえに、さらに幸せの花を咲かし続け、その記録を、ここにとどめてほしかったのである。
 事実、彼女は、その後、“幸福の女王”として、信心の実証を示し抜いてきたのである。
  
 伸一は、今、松山支部結成十八周年を祝賀する記念勤行会で、岩田に花束を手渡しながら、語りかけた。
 「あなたは“愛媛の母”です。一途な戦いの心を、草創の精神を、次の世代に伝えていってください。それが、母の役目です。特に、新しい支部制のスタートにあたっては、その精神を伝え抜いていくことが大事なんです」
 岩田の顔が決意に輝いた。
 さらに花束は、松山支部の初代支部長を務めた武田勇蔵にも贈られた。
 伸一は、彼の年齢を尋ね、六十歳だと聞くと、即座に言った。
 「いよいよ、これからです。牧口先生は七十歳にして、よく『われわれ青年は』と語られたといいます。平均寿命も延びてきていますから、今の年から、マイナス三十歳があなたの年です。青年同士、戦いましょう!」
 こう言って伸一は握手を交わした。
 副会長の関久男のあいさつに続いて、伸一の指導となった。
 彼は、この席では、強盛なる祈りの大切さについて訴えておこうと思った。
 信心の世界は、すべてが御本尊への祈りから始まるからである。祈りなき信仰はない。祈りなき幸福もない。祈りなき広宣流布の勇者もない。
 「私どもが幸福になるために、肝要なものは、日蓮大聖人が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書一一三二ページ)と仰せのように、強盛な信心です。強い祈りです。叶わぬ願いは断じてないとの確信です