“よき弟子”ありて師匠は勝利

広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば、必ずできる」。

 若き日の池田名誉会長がノートに記し留めた、戸田第2代会長の指導である。名誉会長はこの恩師の言葉を胸中に燃やし、世界広宣流布の道を開いた。

 今、名誉会長に授与された世界からの名誉学術称号は230を超える。その栄誉のすべてを、名誉会長は全同志と恩師・戸田会長に捧げると語っている。

 きょう、その戸田会長の逝去から半世紀の時を刻む。

 牧口初代会長と戸田第2代会長は、軍部政府に抵抗し、1943年(昭和18年)7月、不敬罪および治安維持法違反で検挙された。

 牧口会長は獄死。戸田会長は45年(同20年)7月3日に出獄し、学会再建に奔走する。小説『人間革命』は、この7月3日から幕を開ける。

 戸田会長は御本尊に向かい決意を定める。「あわてるな、あせるな。じっくりやるんだ。どうしてもやるんだ」。

 名誉会長は、この師の姿の描写に続けてつづった。

 「日本の、まことの黎明は、この時にはじまったのである。それは後世の歴史が、やがてはっきりと証明することであろう」と。

 名誉会長の行動は、一人立ったわが師の宣言を、実現するための戦いであった。

 戸田会長の願業だった「75万世帯の弘教」も、突破口を開き牽引したのは名誉会長である。

 平和・文化・教育にわたる恩師の遺言を、すべて実現したのも名誉会長である。偉大な弟子の大闘争ありて、恩師は生涯を勝利で飾った。

 「私は、戸田先生の弟子である。師匠を守るため、身を賭して戦った」――。

 名誉会長の歩みは「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(御書900ページ)の御聖訓を、寸分違わず具現するものといえよう。

 それは「太平洋戦争中、弾圧に屈せず自らの信念を貫いた牧口氏、戸田氏は日本宗教史の誇り」(作家・佐藤優氏)等の普遍的な評価を、世界に広げる歩みでもあった。

 今日、牧口・戸田会長、そして名誉会長の名は、海を超えて輝きわたっている。

 戸田会長は、名誉会長が不二で支えていたからこそ、光った。今度は、後継の本門の青年部の番である。

 師匠の大恩を噛みしめ、「よき弟子」の大道を歩む。その真剣勝負にこそわが生命は輝く。(08.04.02:聖教社説より)