3・11小樽問答記念日

昭和30年(1955年)3月11日、北海道の小樽市公会堂で創価学会日蓮宗身延派との法論が行われた。「小樽問答」である。

 結果は学会側の大勝利に終わり、学会は社会に向かって厳然と、日蓮大聖人の仏法の正義を示した。

 この時、戸田第2代会長のもと、実質的な責任を担ったのが若き日の池田名誉会長であった。学会側の司会として登壇した名誉会長の冒頭のあいさつによって、すでに問答の勝敗は決した。

 “身延の信者が、全国で何千、何万と、創価学会に、日蓮仏法の真髄の教えに帰依していることは、それが正しき証拠である!”

 法論を見守った戸田会長は、後に記した。

 「小樽問答の真の意義、その真価というものはさらに何年か後、歴史の流れの上から正しく判定される時が来るであろう」(『小樽問答誌』)

 大聖人の仏法は、信仰を実践する一人一人が主体者である“民衆に開かれた宗教”である。

 しかし、日本では歴史上、檀家制度が確立されていくなか、“僧が上で俗が下”との差別意識が植え付けられ、民衆が自らの主体的な意思と判断によって宗教を選び取っていく道筋は塞がれていった。

 結局、仏教は“葬式仏教”として形骸化した。

 「宗教は、どこまでも一人ひとりの心に、道理を尽くして語りかけ、触発をもって弘めていくものです。それには、それぞれの宗教が、平等に自由な立場で布教できなければならない」(小説『新・人間革命』第3巻)。ここにこそ社会の健全な発展への道はある。

 小樽問答は、本来であれば、宗門こそ法論の矢面に立ってしかるべきであった。

 戸田会長の英断によって、この法論を学会が引き受けたというのが真相であった。在家教団によってこそ、大聖人の仏法の正義は明らかにされたのである。

 檀家制度の悪弊を考える時、その悪の権化とも言える存在は今、日顕宗である。

 それは、日本の歴史のなかで醸成されてきた悪しき精神風土を象徴する最たるものである。

 民衆が衣の権威に縛り付けられたままではいけない。そこからは一人一人の自立も、そして社会の発展を真の意味で可能とする精神風土も生まれない。

 どこまでも寛容の心に根ざして民衆の自立と蘇生を促す私たちの開かれた対話こそ、希望ある社会の未来を切り開く根源の力なのである。(08.03.10:聖教新聞社説より)