関西最高協議会

関西最高協議会での名誉会長のスピーチ 下 後編

 大聖人直結の祈りと戦いで 
 一、日興上人の拡大の戦いは、どこまでも「師弟不二」に徹していた。
 それは、師恩にお応えせんとする、ひたぶるな弟子の戦いであった。
 日興上人は門下にあてた御手紙で述べておられる。
 「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。
 師弟の道を、少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に堕ちてしまうのである」
 日興上人は、師匠である大聖人に心を合わせ、師の仰せ通りに戦い、妙法を広められたのである。

わが近隣、わが地域に広げよう 対話の花園正義の大波
周総理 尽くせば活路は開ける

 広宣流布の戦いにあって、「師弟」が、どれほど重要であるか。
 御聖訓には、池上宗仲らの勝利について、「日蓮の言った通りにされたから、祈りが叶ったようです」(御書1151ページ、通解)と仰せである。
 一方、後に退転した波木井実長については、「私が期待した通りにはしなかったので、訴訟の結果も思うほどではありませんでした」(同ページ、通解)と述べられ、こう厳然と仰せになられている。
 「弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(同ページ、通解)
 関西の勝利の原動力も、大聖人に直結する師弟不二の祈りと戦いにこそあった。
 大関西は、私が深く信頼する同志と共に、三類の強敵と戦い抜いた地である。師匠を厳護し、学会を守り抜いた誉れの天地である。

 「日蓮の弟子」と誇りも高く 
 一、日興上人は国主諌暁のため、幾度も「申状」を幕府や朝廷に提出されている。
 そのうち現存するものは、正応2年(1289年)、嘉暦2年(1327年)、元徳2年(1330年)の3通である。
 そのいずれの申状でも、日興上人は、御自身のことを「日蓮大聖人の弟子」と、誇り高く明記されている。そして「民衆の安穏と幸福のために、邪法を捨てて正法に帰依すべきである」との師の教えを、一点の曇りもなく訴えておられる。
 この点、権力の弾圧を恐れて「天台沙門(天台の一門)」と称した、五老僧たちの妥協と迎合、保身と臆病の態度とは、天地雲泥の違いがあった。
 日興上人は、大聖人滅後に師に違背した五老僧について、「『師を捨ててはいけない』という法門を立てながら、たちまちに本師(日蓮大聖人)を捨て奉ることは、およそ世間の人々の非難に対しても、言い逃れのしようがないと思われる」(編年体御書1729ページ、通解)と厳しく指弾されている。
 五老僧を破折した「五人所破抄」には、日興上人の峻厳なる叫びが記されている。
 「ただ題目の五字を唱え、たとえ三類の強敵による難を受けても、諸師の邪義を責めるべきである。このことは、法華経の勧持品第十三や常不軽菩薩品第二十に明確に説かれていることであり、上行菩薩の再誕として出現され弘教された日蓮大聖人が、現証をもって示されたことである」(御書1614ページ、通解)
 この大聖人と日興上人の師弟の闘争を受け継ぎ、三類の強敵の大難を勝ち越えて、正法を私通し抜いてきたのは、だれか。それは、創価の三代の師弟である。
 そして、その師弟の真髄の精神が、どこよりも生き生きと脈動している天地こそが、常勝関西なのである。
 広宣流布の第2幕とは、弟子が戦い勝つ時代である。その大行進が、今再び、我らの大関西から悠然と始まったということを、私は高らかに大宣言させていただきたい(大拍手)。

 「あなたの慈悲は私を牢獄にまで」 
 一、戸田先生は、初代会長の牧口先生に仕えきられた。
 牧口先生は獄死され、弟子である戸田先生は、生きて牢を出られた。
 そして牧口先生の3回忌に、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」とおっしゃったのである。
 その戸田先生を師匠と決めて、私は仕えきった。
 戸田先生の訓練は厳しく、戦いは激しかった。途中で嫌になって去る者もいた。
 先生の事業が危機に瀕した際、先生は理事長職の辞任を発表された。
 ──先生が理事長を辞めたら、違う人が私の師匠になってしまうのか──。私は先生にお尋ねした。
 先生はおっしゃった。
 「いや、それは違う!
 苦労ばかりかけてしまうが、君の師匠は僕だ!」
 本当にありがたい先生であられた。
 戸田先生は、私が広布の突破口を開くことを確信されていた。私は阿修羅の如く戦った。そして先生の確信にお応えしたのである。
 先生は、ご自身の故郷である北海道の厚田村に私を連れていってくださったこともあった(昭和29年8月。現在の石狩市厚田区)。
 私は、先生が乗られた飛行機が揺れないように真剣に祈っていた。
 懐かしい故郷を目にして、先生はホッとされていた。あの訪問が、戸田先生が厚田を訪れた最後となった。
 どれほどの思いで、戸田先生に仕えたことか。
 今、本物の闘士は、いるか。どこにいるだろうか──私の思いは、この一点にある。
 関西の皆さんは、一段と結束してほしい。関西をもっと堂々と、立派にしていただきたい。
 御義口伝には、「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に宝処に至る』のである。この『共』の一字は、日蓮と『共』に進む時は必ず宝処に至るということである」と仰せだ(御書734ページ、通解)。
 日蓮大聖人の仏法を信奉し、師とともに進む我々は、「宝処」──すなわち、「成仏の大境涯」を目指しているのだ。
 世の中には、権力争いに明け暮れる愚かな人々もあろう。出世争いの醜い都もあろう。
 しかし、師弟の心で広布に進む関西は、創価の"宝の国"である。

中国の思想家 家族を、民族を、地球を 創造してこそ青年

 一、周恩来総理の言葉を、わが関西の同志に紹介したい。
 「われわれは、いつでも、大衆の利益に奉仕するのです。こうして、人民に依拠してゆきさえすれば、活路は必ずひらけるのです」(新井宝雄著『革命児周恩来の実践』潮出版社
 広布の戦いは、皆が楽しく集えることが、何よりも大事だ。会合も、皆が喜ぶものにしたい。
 学会のリーダーは、いわば「広布の将軍」である。「大きな展望」を持つことだ。
 小さくまとまっては、いけない。弱々しい声も、いけない。
 また、幹部は学会員の「上」に立つのでは断じてない。皆の「下」になるのだ。大事なのは、一生懸命、学会員のために尽くす「心」である。
 皆、勝とう! 長生きして、健康で!〈参加者から「ハイ!」と元気な返事が〉

 境涯を広げればすべてが楽しい 
 一、組織のなかには、"どうしても、自分と合わない人"がいる場合がある。
 お互いに、そう思い合っていることもある(大笑い)。
 しかし、「嫌だな」と思っても、こちらから相手を変えることは難しい。人間の性格は、なかなか直らない。皆さんもよくご存じの通りだ(笑い)。
 では、どうするか。
 「自分が変わる」ことだ。自分が大きくなるのだ。境涯を広げて、自分自身が楽しく戦えるようにしていくのだ。そのほうが利口である。皆のためになる。
 御書には「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(784ページ)との有名な御文がある。学会にも多種多様な人が集まっている。
 だから広宣流布が進むのだ。一切衆生の成仏を説ききった仏法である。「自分とは合わないな」と思う人とも、一緒に戦っていくことだ。
 「異体同心」とは、「心」が一致することである。皆が勝つために。皆の幸福のために。広布のために、心を一致させれば、勝利に向かう。
 その意味で、関西の同志は、"世界一の模範の家族"であると思う(大拍手)。
 私は、「関西、頑張れ!」と叫びたい。いよいよ総仕上げの、一歩前進の指揮を関西の友と執っていく。できることは、全部するつもりだ。 壮大なる「常勝関西」をつくろう!
 結びに、全関西の最前線の偉大な同志が、一人ももれなく、大いなる喜びと勝利の人生を歩みゆかれることを、お祈り申し上げます。

 天高く
  富士の如くに
   常勝の
  大関西の
    同志の姿も

 この一首を贈り、私の記念のスピーチとさせていただく。
 きょう、お会いできなかった同志の皆様に、くれぐれもよろしくお伝えください。ありがとう。本当にありがとう!(大拍手)
 (2007・11・6)

関西最高協議会での名誉会長のスピーチ 下〔完〕