2011.05巻頭言
巻頭言


我らは永遠に金剛の同志

 三世まで

  我らの生命は

      同志かな

   霊鷲山とは

     ここにあるかと



 「信仰は勇気であり、勇気は信仰である」――東北を故郷とする信念の教育者・新渡戸稲造博士の叫びだ。創価の父・牧口常三郎先生とも、深い交友を結ばれた博士であった。

 軍国主義の魔性と戦い抜き、法難の獄中にあっても、勇気の極致である信仰を威風堂々と貫き通されたのが、我らの殉教の先師であられる。

 この大勇を受け継ぐ我が友は、今回の東日本大震災に際しても、大勢の方々の救援に奔走してくださった。この世で最も尊く美しき助け合い、励まし合いのスクラムである。

 日蓮大聖人は、打ち続く災難の中、佐渡の阿仏房・千日尼夫妻や国府入道夫妻らが健在であることを確認できた安堵を、こう仰せになられた。

 「死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの・夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし」(御書P1314)

 歯を食いしばって復興へ進む地涌の陣列を、何より大聖人が厳然と見守ってくださっているに違いない。

 我らの使命の旅路は、三世にわたって御本仏が照覧であられる。

 「自他の生死はしらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならず・むかいにまいり候べし」(御書P1558)とも、明確にお約束くださっている。

 したがって、いかなる生死の流転があろうと、何も恐れるものはない。

 戦乱の世に、武士であった息子を非業の死で失った母への御聖訓には「光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、其の時御対面いかにうれしかるべき」(御書P934)と綴られている。

 妙法は永遠である。妙法で結ばれた生命の絆もまた、永遠なのである。

 仏は金剛不滅である。広宣流布という仏の仕事を成しゆく「心の財」もまた、金剛にして不滅なのである。

 戸田城聖先生は、戦後の焼け野原に一人立たれて、無常の苦悩に打ち沈む民衆に、永遠の生命観を示され、絶対的幸福の境涯を明かされた。

 恩師は、愛弟子に叫ばれた。

 「一番つらいことを乗り越えた人こそが、皆を救っていけるのだ。これでもか、これでもかと戦うのだ。勇気ある信心がある限り、変毒為薬できない試練など、絶対にない」

 十六年前、阪神・淡路大震災の直後から、神戸の友は"不死鳥勤行会"を積み重ねながら、前進してこられた。自らの家も崩落したなか、奮闘されてきた常勝の母は語る。

 「友を励ますほど、『負けたらあかん』と私の心も燃えました。強くなりました。どん底を知ったからこそ、わが地域を三変土田し、幸福を広げていきたいのです」

 偉大な創価の母たちが築き上げてきた人間共和の心の故郷は、今や全世界に光っている。この母たちの心を心として、愛する誓願の郷土を守り抜き、勝ち栄えさせていくのは、私が薫陶してきた誉れの青年部だ。

 中米ハイチも、昨年一月の大地震を乗り越え、青年の連帯が広がっている。若き支部長は「どんな社会的困難があっても、戦う力、乗り越える力、勝利する力は、題目と信心と同志の中にあります」と誇り高く語る。

 新たな出発の五月三日だ。金剛の同志よ、侮いなき一日一日を! 一生涯、大勝利者の姿で飾りゆこう!

 金剛の

  仏の生命を

    開きゆけ

   誓いの闘争

     師子と走りて