.「小樽問答」の勝利に学ぶ――正義の対話に打って出よう!

若き師子吼で勝負は決まった。

 54年前の昭和30年(1955年)3月11日、北海道の小樽市公会堂で「小樽問答」が行われた。日蓮宗身延派の邪義を破折し、学会が日蓮仏法の正統であることを満天下に示した歴史の日だ。

○池田青年を中心に攻め勝つ

 当時、小樽の婦人部員が身延派の僧侶を破折したことに端を発し、身延側から「法論で決着をつける」との声が上がった。事態を聞いた戸田会長から指揮を託されたのが27歳の池田名誉会長である。

 正義の言論戦の歴史から学ぶべき勝利の要諦を、4点挙げてみよう。

 第1に「スピード」である。名誉会長は電光石火で、函館・札幌・旭川・小樽に青年部幹部を派遣。道内の同志に急を知らせ、緒戦の勢いをつくった。

 第2に「周到な準備」である。決戦に向けて、池田青年を中心に法論の順番、時間、破折のポイントなど詳細をしっかり詰め、入念に準備を重ねている。

 第3に「勇敢な声」である。勝負を決したのは池田青年の司会第一声であった。“身延の信者が、全国で何千、何万と、創価学会に、日蓮仏法の真髄の教えに帰依していることは、学会が正しき証拠であります!”――場内の空気は一変した。青ざめた身延側は、本尊雑乱を鋭く突かれ、支離滅裂な応答に終始し、立ち往生。もはや勝敗は一目瞭然であった。

 そして第4に、一切の原動力は、将の「強き一念」である。同志を護り、師匠の構想を実現する名誉会長の炎の一念が、学会を圧勝に導いたのだ。

 戸田会長は勝因について「敵が攻めかかってきたが、それで守備に回らないで、逆に攻撃に回って、先手、先手と攻めたから、非常に楽に勝てた。攻めることが肝心なのだ」と述べている。

 問答の勝利は、全同志に「学会は正しい!」との確信を生み、歓喜を爆発させた。小樽の学会勢力は、182世帯だった問答当時から、2年後には2466世帯までに拡大。戸田会長の願業であった75万世帯達成の原動力となった。

 この伝統を現代に受け継ぎ、北海道の青年主張大会をはじめ、今や全国に創価の正義を語る対話運動が広がっている。

○青年が輝けば社会は変わる

 「青年こそ、未来の希望であり、世界の宝です。青年が生き生きと輝いている社会は、未来が明るい」と名誉会長。小樽問答の勝利史に学び、青年部を先頭に、我ら池田門下が社会を変えゆく対話に颯爽と打って出ようではないか。(聖教:社説)