「聖教新聞の拡大」が地域広布の要

 全国の友が、新年から聖教新聞を活用し、友好拡大への挑戦を開始している。

 池田名誉会長は、「機関紙は、すべての『信心』と『広布』の推進力であり、伝播であり、その教団の生命力の発露である」と語っている。
 聖教の魅力は、学会の魅力そのもの。聖教の拡大は、ただちに学会の素晴らしさを社会に広げる力となる。師と心を合わせ、冬の列島を駆ける同志の大言論戦に、心から感謝申し上げたい。

 日蓮大聖人は「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(御書153ページ)と仰せである。これは、釈尊の経文を蔑ろにする禅宗を破折された御金言だ。

 文筆を嗜みながら、仏の文字を否定する禅僧らを、「言葉と心が相応していないではないか。これでは天魔の部類であり、外道の弟子である」(同ページ、趣意)と責めておられるのだ。

 「言と心と相応せず」。教養人ぶって論じることには長けていても、真に民衆を救おうという慈悲がない。だから我見に執着し、仏の金言を疎かにする――。 

 宗教蔑視や庶民蔑視の傾向が強い現代の知識人にとっても、重大な訓誡ではなかろうか。いくら言葉巧みに分析や批判をしても、民衆を思う慈悲の心がなければ、時代の闇は開けないであろう。

 日蓮仏法を根幹として、創価の三代会長の慈悲と正義の哲学を広げる聖教新聞こそ、日本を変えゆく最も深い言論の大城であると自負してやまない。

 宗教学者山折哲雄氏は、現代日本がこれほど混迷する理由の一つとして、「何ごとによらず『師弟』の関係が欠如しているからだ」と指摘する。師弟という人生の“垂直軸”ありてこそ、万般にわたる人間関係の“水平軸”も初めて安定するのだと、氏は論じている。

 鋭い視点であろう。今、池田名誉会長の思想と行動を讃嘆する世界の識者も、そこに脈打つ「師弟」の魂に、深く胸を打たれるのだ。

 名誉会長は綴る。「わが聖教新聞は、師弟の心の金剛不壊の絆であり、世界の民衆を結ぶ架け橋である。民衆の、民衆による、民衆のための、かけがえのない言論城なのだ」「読者の皆様のために、尊き同志の前進と勝利のために、聖教はある」(「随筆 人間世紀の光」)と。

 「聖教拡大」即「広布拡大」の波を広げる友への感謝も新たに、創価の師弟の哲学を力強く発信していきたい。(聖教:社説)